大人も子供も大好きなおつまみ「柿の種」
でも「実際の柿の種」とは形が似ていませんよね?
お菓子の「柿の種」の由来はなんなのでしょうか?お菓子の「柿の種」の由来はなんなのでしょうか?
形の由来はうっかりミスから?
「柿の種」といえば亀田製菓が有名です
しかし元祖は亀田製菓ではありません。
元祖は大正12年創業の「浪花屋」という新潟県の製菓会社
創業時は小判型の煎餅を作っていました
当時は薄くスライスした餅を何枚も重ね、小判型の金型で切り抜いて作っていたそうです
しかし、ある日その金型をうっかり踏み潰してしまい、歪んでしまったそうです
![](https://first-azarashi.com/wp-content/uploads/2020/10/B7D0C3C9-192F-4075-A66C-FC892182A947.jpeg)
元には戻せずそのまま使用してみたところ、歪んだ小判型のあられに
名前の由来はお客さんの一言?
そのあられを商品として出してみたところ、
「こんな歪んだ小判型はない。形が柿の種に似ている」
と、ある主人にいわれ
そのヒントから大正13年に「柿の種」が誕生しました
![](https://first-azarashi.com/wp-content/uploads/2020/10/91CDB256-2631-468A-B633-9756A89B20AD.jpeg)
何の柿の種?
柿の種の名前の由来はわかったものの…
やはりよく見かける柿のまるい種とは違います
![](https://first-azarashi.com/wp-content/uploads/2020/10/4F4844ED-8250-43FE-B1AB-938FCA931724.jpeg)
命名のきっかけとなった主人が指す柿は何柿だったのでしょうか?
大河津柿説
![](https://first-azarashi.com/wp-content/uploads/2020/10/3875BDAE-6F7B-4F0E-BA09-89CA6E4C1613.jpeg)
ネット上で有力視されているのは新潟県名産の甘柿『大河津柿』です
新潟県の柿と考えると可能性はあります
ただ種の画像が見つからず、現時点では判断できません
筆柿説
![](https://first-azarashi.com/wp-content/uploads/2020/10/F94F67D2-3AE7-46B0-8738-83CB552CA76A-1024x768.jpeg)
筆柿は別名を珍宝柿と呼ばれ、名前の通り一部の地域でしか作られていない珍しい柿です
その種はというと…
![](https://first-azarashi.com/wp-content/uploads/2020/10/E58C85A3-F3A7-408B-A682-B302BDAAEBAF-1024x768.jpeg)
あれ?似ていません?
取り出しておつまみの「柿の種」と並べてみると
![](https://first-azarashi.com/wp-content/uploads/2020/10/9C6F4D83-7E9C-4A67-BE21-F9BDF3F2EB50-1024x768.jpeg)
…瓜二つです!
間違えて食べてしまいそう…
大河津柿?筆柿のどっち?
筆柿の種の瓜二つさを見てしまうと筆柿が由来!
と早とちりしてしまいそうですが…
筆柿は別名珍宝柿の通り、珍しい柿です(地域によっては「ち◯ぽ柿」)
愛知県の幸田町が全国の生産量の86%,長野県が13%を占めています
元祖「柿の種」の浪花屋がある新潟県ではあまり見られない種類です
そう考えると筆柿である可能性は低いように思われます
かといって大河津柿の種の形がわからない以上どちらとも言えません
ごまふの仮説:大河津柿の種も実は細長い?
流通している甘柿のほとんどは完全甘柿であり、楕円形の種を作ります
一方で渋柿と不完全甘柿は細長い種を作ります
この不完全甘柿とは一本の柿の木に、甘い実と渋い実が同時になる種類であり、
筆柿も不完全甘柿であるため種が長細いのです
そして大河津柿もまた不完全甘柿であり、種が細長いと考えられます
仮説が正しければ、新潟県の名産、不完全甘柿の大河津柿が有力でしょう(種の画像や情報いただけると嬉しいです)
果物の柿の種が丸いイメージは時代のせい?
ここで「柿の種」が生まれた大正時代について考えてみましょう
大正時代は今ほど完全甘柿が盛んに作られてはおらず、
種が細長い不完全甘柿や渋柿を干し柿にして食べることが多い時代です
つまり大正時代の人々の柿の種のイメージは細長い三日月型であったのです
流通している柿のほとんどが完全甘柿である現在とは柿の種のイメージが異なります
「渋柿」から「甘柿」へ
丸い種を作る甘柿の代表格、富有柿は1898年、岐阜県に生まれています
本格的に全国に広まったのは第二次世界大戦の前後、1940年前後だと考えられます
「おつまみの柿の種」は1923年、まだ果物の柿の種は細長いイメージの時代に生まれています
また「おつまみの柿の種」が全国に広まってたのは1955年に亀田製菓がピーナッツとともに売り出されたためです
つまり
- 「柿の種」が命名されたのは種が細長いイメージの時代
- 「柿の種」が全国で認知されたのは種が丸いイメージの時代
ということではないでしょうか?
「渋柿から甘柿へ」、その移り変わりの最中に生まれ、全国に広がったおつまみが「柿の種」だと思われます
この時間軸のすれ違いが私たちの「柿の種」のイメージにギャップを生んだのでしょう
まとめ
結局、「柿の種は何柿?」という答えは
形的には筆柿も有力ではあるものの、
生産地の観点から大河津柿が有力であると考えられます
私たちが柿の種に抱くイメージのギャップは流通する柿の変遷によるものでしょう
コメント